うちの子記録
2年前に天国に行った
いちごちゃん。
いちごちゃんを保護したのはもう、16年前のこと。
捨てられた猫の生活は過酷過ぎる。と実感した事。
いちごちゃんは生後1か月ほどの頃
4〜5匹の兄弟と公園に遺棄されたようで、
その兄弟達は 公園に居た1匹のメス猫が育てていた。
そのメス猫は、まだ避妊手術されておらず(地域猫活動TNRがまだ実施されていなかった)
子猫を4〜5匹出産した後。
そこへ いちごちゃん兄弟が遺棄されたようで
そのメス猫は8から9匹という子猫にお乳をあげて
育てていた。
自分の子以外でも育てる母猫がいる。それだけでちょっとした感動だった。
そして 当時はまだ 公園内でもあちこちで子猫が生まれていた。
その子らは 猫おじさん猫おばさんという方達が毎日毎日、ご飯をあげていたのです。私もその9匹ほどの子猫が気になり、行ける日は
猫のフードを持参し様子を見にいった。
すると 子猫は日に日に減っていく、、
9匹が8匹、7匹。と。
そこで 猫達にご飯をあげていた猫おじさんに聞いた。
どうして 子猫が減っているの??
猫おじさんは
身なりも言葉使いも丁寧で綺麗な方だった。
定年退職され、こうやって公園で猫にご飯をあげるまでは
お仕事も子育ても愛情を持ってされていたのだと分かる方。
猫おじさんは
カラスがね 持っていくんだ。食べてしまう。でもね。
この子が(子育てしているメス猫)
必死で 自分よりも大きなカラスにでも立ち向かって行っていくんだよ。
おじさんも1度遭遇したけどカラスが子猫を咥えてね。。。
言葉を発する事が出来なかったのを覚えている。
このような整備された公園でさえも
弱肉強食の世界であり、
体を張って守る母猫がいると。そこでいちごちゃんが気になった。
明日、来た時には会えないかもしれない。
9匹ほどいた子猫の中でなぜか私に抱っこしてとばかりに
ひっついて離れなかった子猫。
私はウォーキングの時用の小さいカバンに
子猫を詰め込んだ。
とっさの行動で今も考えに考えた結果だと言えない。
ただ、
無我夢中だったのを覚えている。うちに来て3日ほど経つと いちごちゃんは下痢になった。
でもまだ元気にケージ内で遊んでいたので
まぁ治るだろうと。すると翌日には
いちごちゃんは ほとんど遊ばなくなりこの時やっと異変に気付いた。
小さい子猫はたった1日の下痢で瀕死になるんだと。
(これは今でも里親に伝えている。子猫の下痢は危ないから。と)
その日は たまたま祭日でいつも行っている動物病院は休み。
隣の駅の獣医師が数名いる少し大きめの動物病院まで連れて行き、
インターキャット、点滴、などをしてもらうことに。
手のひらの大きさの子猫が注射を打たれていることに
心底、悪いことをしてしまったと思い、
それから1週間は毎日、小さいいちごちゃんをキャリーバッグに入れて
インターキャットと点滴を行った。
そんないちごちゃんの様子を見て
こんな小さい子が外で生きていけるわけがない!
いちごちゃんを保護してから1週間後ぐらいだった。
いちごちゃんのお世話の合間に公園に急いで行った。
残った全ての子猫を保護しよう
それしか無かった。
すぐにみんな動物病院に連れて行こう
公園に着くと 子猫が入っていた段ボールが無くなっており、
探したが子猫は見当たらず。
猫おじさんを待った。
すると 猫おじさんが現れたので
すぐに
子猫たちは どこへ行ったん??
猫おじさんは 低い声で少しうつむき加減に
この前1人の男性が
子猫が入ったダンボールごと持って行ってしまった。
動物実験で売れるから
子猫を1匹500円で
全部売るんだと
病院は〇〇病院(←今も覚えてる!)
そしておじさんが 最後に
これも 自然のことだから・・・・・。
この一言で私の中で何かがブチ切れた。
何が自然のことやねん
人の手が関わってるやろ
寂しそうな猫おじさんに
それだけ吐き捨て 速攻で自宅に帰った。
家に帰って
いちごちゃんを抱きしめ、泣きながらただただ謝った。
そこから 動物実験、保健所、ペット販売、虐待、殺処分など
この世に出ていると思われる
動物愛護関係の本を読み(その時で一気に500冊ほど繰り返し何度も読んだ)
インターネットで 調べ 関西圏の動物愛護団体に片っ端から電話をし
一体、どういった活動をされているのか 気がすむまで聞いた。
(どこも親切だった。)
ありえない状況に
頭を打ち砕かれた思いと
一緒に
今、自分に出来ることをしよう。と。
そこから いちごちゃんを保護した公園に遺棄された子猫は保護することに。
まだ 未去勢の猫が多くいたのと、市内でも有名な大きな公園だったので
捨てられる子猫らも多かった。どこで子猫が捨てられている。と聞きつけては 捕獲しに行った。そこから、猫の保護活動が始まった。
いちごちゃん大好き。
いちごちゃんもう2年になるんだね。